2022年11月27日礼拝

もう一度神の愛へ  エズラ記10章1~5節

罪は関係を破壊する ・エルサレムに戻ってきたエズラがみたものは、神の民のなかにある罪の現実でした。イスラエルの民の男性たちは、モーセの時代に語られたみことばによって、その土地の女性たちとは決して結婚してはいけないと命じられていました。にも関わらず、彼らは主のことばに背き、現地の女性たちと結びつくようになっていました。それは同時にこの地の乱れた道徳や宗教と結びつくことです。神の民にとって一番大事なのはまず神との関係です。けれどもエルサレムのユダヤ人たちは、神との関係よりも、その地の乱れた道徳や宗教と結びついて生きる道を選びました。「エズラが神の宮の前でひれ伏して、涙ながらに祈り告白しているとき、男や女や子どもの大会衆がイスラエルのうちから彼のところに集まって来た。民は涙を流して激しく泣いた。」エズラのもとに集まった人々は「会衆」つまり、神を礼拝するために集まる人たちです。彼らはエズラと同じように、イスラエルの罪を嘆き悲しみました。 ・罪は神との関係の破壊します。この罪は、私たちの中にもあります。罪とは犯罪や悪い行いだけではなく、その根っこにある何かです。私たちの中には神との関係を破壊する罪があるのです。この罪が神に近づくこと、神に従うこと、神とともに生きることを妨げます。そして人との関係も歪めてしまう。神を愛し人を愛して生きることの邪魔をするのです。

 

罪は取り除かれる必要がある ・続くのは具体的行動です。罪は取り除かれる必要があるからです。「会衆」の中にエズラを励ます人がいました。「エヒエルの子シェカンヤ」です。「しかし、このことについてイスラエルには今なお望みがあります。今、私たちは自分たちの神と契約を結び、主の勧告と、私たちの神の命令を恐れかしこむ人々の勧告にしたがって、これらの妻たちと、その子どもたちをみな追い出しましょう。律法にしたがってこれを行いましょう。」2-3)彼が語るのは、もしイスラエルの民の中から罪が取り除かれるならば、そこにもう一度神の民として生きる道が残されているということです。シェカンヤのことばを聞いて、エズラは自らの使命を再確認したことでしょう。彼の使命は神のことばを語り神の民を建て直すこと。民に必要なことはみことばに従って自分たちの中から罪を取り除くことです。具体的には「妻たちと、その子どもたちをみな追い出」すこと。そこにしか、ユダヤ人がもう一度神とともに生きる道はなかったからです。それだけ神の民の罪が根深かったということです。だから徹底した取り扱いが求められました。神に愛されているのだから。神の愛に戻ること。そのためには、神から離れさせるものを断ち切ることが求められます。そこには戦いがあります。 ・私たちは自分の力だけで罪を取り除くことはできません。私たちの「望み」はイエス・キリストです。イエス・キリストは「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)として、私たちの住む世界に来られました。イエス・キリストは神との関係を破壊した私たちが罪に死に、もう一度神の愛に戻ることができるように、十字架に架かってくださいました。そして私たちがもう一度神とともに生きるために、イエスは死からよみがえられたのです。罪に死に、神に生きる道を、イエスとともに一歩ずつ歩んでいきましょう。