2022年3月6日礼拝

主はよい方だから      エレミヤ書29章10~14節

主は計画を成し遂げられる 今朝の聖書の言葉は紀元前7世紀、預言者エレミヤを通して、バビロン捕囚のイスラエルの民に語られた言葉です。「まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──」10-11)バビロン捕囚は神に背を向けたイスラエルの民への神のさばきでした。けれども、70年の後にもう一度祖国に帰ることができる。これがエレミヤを通して語られた主の約束でした。神ご自身がイスラエルの民をもう一度約束の地に連れ戻してくださるのです。イスラエルの民が何かよいことをしたからではありません。主が「いつくしみ(直訳:「よい」)深い方だからです。この方が世界を造られ、この世界を救いと完成に導く「よい」計画をもっておられます。そして神はご自身の計画を神の民を通して成し遂げられます。

 

平安・将来・希望を与える計画 「それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」11)平安・将来・希望は神が与えてくださるものです。同時に、私たちが神とは別のところに求めてしまいやすいものでもあります。不安だからです。安心したい。このままこの場所にある安心を求めていけばいい。そう思った人々も少なくはなかったはずです。何かを手に入れること、持っていること、すでにわかっていることで安心しようとする。安心は人が作り出そうとするもの、平安は主が与えてくださるものです。バビロンからエルサレムに戻ることには恐れもあったでしょう。彼らの多くは捕囚の地で生まれ、エルサレムをみたこともない人たちがほとんどだったと思います。その先はどうなるのか。誰にもわかりません。けれども、主はたしかに約束してくださいます。わざわいいではなく平安を与えると。主が与えてくださる平安、希望とはまず神との関係の回復です。バビロン捕囚は罪によってイスラエルの民と神との関係が壊れてしまったことの結果でした。故郷に帰ることができるということは、神との本来の関係に戻ることができるということです。

 

 

主を求めよ 「あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」(12-14)イスラエルの民に必要なことは主を呼び求めることでした。人は状況が変わることを求めます。もちろんそれは切実な願いです。それ以上に神を求めているだろうか。神との交わりを求めているだろうか神との関係はどうなっていますか。暗い出来事が多い時代です。けれども、このような時代でも、このような時代だからこそ、神は聖書を通して私たちに語り続けてくださっています。将来と希望を与える計画はイエス・キリストによって成し遂げられます。イエス・キリストが死からよみがえられたから。キリストは今も生きておられます。死に勝利された方、神の国・私たちの救いを完成するためにもう一度来てくださる。キリストこそが私たちの希望です。この方を呼び求めて生きよと今日も主は私たちに語りかけておられるのです。